小説「マリア=ノルダール」前編
友人たちと一緒にハイキングへと出かけたときの話だ。
行き先は登山初心者でも安心だという、ハイキングコースが整備された低い山。おまけに同行する友人の中には登山に慣れた経験者も居るということで、本来ならば、最初から最後まで散歩気分で終わる楽しいハイキングになるはずだった。
当日の天気予報は一日を通して快晴。いくら山の天気が変わりやすいと言っても、そこまで急激に空が荒れるはずはない。そう思っていた俺達は、当日も天気の変化にはそれほど注意していなかったし、実際、ハイキングをしている最中の天気はずっと安定していて、空は荒れるどころかずっと雲もほとんど見当たらない晴天だった。
だが、いよいよ山を下りて帰路につこうとしたときのこと。それまで麓を見渡せるほど鮮明だった視界が急激に濃い霧で覆われていき、すぐ近くに居るはずの友人たちの姿さえも見失ってしまうという異常事態が起きた。大声で呼びかけても、友人たちからの返事はない。
とはいえハイキングコースは一本道だ。足元に注意して進んでいれば、麓の駐車場まで辿り着ける。そう思って歩き続けていたのに、いつの間にか俺は、ハイキングコースから外れて剥き出しの土の上に立っていた。こんな状況だ、注意を怠ったつもりなどないのに。
いつからハイキングコースから離れていたのか、友人たちはあの短時間でどこへ消えたのか、何もかも分からないことばかりだったが、少なくともこのまま夜が来たらマズいということだけは理解できた。もう既に太陽は西に傾き、沈みかけている。このまま辺りが暗くなれば、霧の中でまともに歩くことは出来なくなるだろう。
「嘘だろ……まさか、遭難……?」
どうにかして元の道まで戻らなくてはいけない。そんな焦りに駆られて足を動かすが、進む方向を間違えればより深く森の中へ迷い込むことは明白だった。霧の中、どの方向へ進むべきかなど分かるわけがない。だが、立ち尽くしていても状況は変わらない。この時の俺には、その場で助けを待つといった考えを持つ余裕などなかった。
だが、いくら歩いてもハイキングコースに戻ることはなかった。霧に包まれた狭い視界に映るのは、人の手で整備された様子のない森の景色だけ。おかしな話だ、いつの間にか山らしい傾斜すらも無くなっている。広く、深い、森の中。ここは……どこだ?
「なんで……俺は、どこに居るんだ……?」
遭難どころではない異常な事態に巻き込まれていることを薄々自覚し、不安と恐怖が心を包んでいく。そのときだった。
「あら……珍しい。どこから迷い込んだのかしら、坊や?」
自分ではない、他人の声。さっきまでは感じなかった、甘い匂い。驚いて振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。およそ山歩きに来ているとは思えない……というか、鼠径部や豊満な胸の谷間が露出した際どいハイレグ形状のコルセットに、マントと指ぬきのアームカバー、そしてニーハイソックスを合わせただけという、およそ外を出歩くための姿とは思えない奇妙な服装をした外国人ぽい顔立ちの若い女だ。森の中というロケーションにはあまりに場違いな格好であり、身に着けているものがどれも黒いせいか、露出した素肌の白さが余計に目を引く。一体この女、何者だ……?